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Book Review|

BOOK REVIEW vol.1

今月の本 vol.:川久保玲のことをよくわかっていない

今年5月からNYのメトロポリタン美術館で、存命中のデザイナーとしてはイブ・サンローラン以来二人目となる、川久保玲/コム デ ギャルソンの展覧会が開かれている。展覧会の図録『REI KAWAKUBO / COMME DES GARCONS』は、川久保が三十数年の間でメディアに語った言葉が大量に引用されている。「言葉は信用しない」という川久保のたくさんの言葉から浮かび上がる、コム デ ギャルソンの哲学。

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REI KAWAKUBO / COMME DES GARCONS』BOLTON(THE MET)
Fruits
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 おそらく、私(たち)はコム・デ・ギャルソン、そして川久保玲のことをよくわかっていない。メディアでギャルソンが紹介される時、“常識や既成概念を覆した/壊した”や“奇抜”、“前衛的”といった言葉が必ず頭についてくる。そうした言葉でしか説明できない、つまり具体的な言葉で語れるほどに理解できていないということは、「(私の服を)みんなが理解してしまったら、それはそれで恐怖です。もっと先に行かなければならなくなる。」(「読売新聞」)と語る川久保にとっては、ある意味狙い通りでもあるのだろう。インタビューをあまり受けないことで知られる川久保がいつも語るのは、「すでにみたものでなく、すでに繰り返されたことでなく、新しく発見すること、前に向かっていること、自由で心躍ること」という97年のDMの言葉が代表するような、“自由”と“新しさ”についてだ。

 5月からニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されている「Rei Kawakubo/Comme des Garçons: Art of the In-Between」展は、「服/Fashion」と「服でないもの/Antifashion」の間でモノづくりを続けてきた川久保に、「Model/Multiple」や「High/Low」「Self/ Other」といった相反する9つの項目を設定し、固定化した価値観を揺さぶる存在としてコム・デ・ギャルソンの世界を構成している。その展覧会の図録でもある本書は、展覧会の項目から「Absence/Presence」を抜いた8つの項目からなり、それぞれ過去に撮影されたビジュアルと繰上和美やアリ・マルコポロス、クレイグ・マクディーン、パオロ・ロベルシなどによって新たに撮り下ろされたものを混在させた編集がなされている。だが、そうしたビジュアルにも増して、本書を最も特徴づけているのは、大量の川久保の言葉の引用ではないかと思う。日本を含む世界中のメディアに答えてきた、抽象化された服作りに関する言葉を読みながら、テーマごとに服を見ていくと、具体的な表現と川久保の思考が徐々に結ばれる瞬間がある。

 言葉で言えば、本書に収録のボルトンと川久保の対話も興味深い。展示内容についてキュレーターであるアンドリュー・ボルトンと川久保は揉めたそうで、内装のみ川久保が思うように設計し、他は美術館側に任せたのだが、二分法という展示コンセプトにどうやらしっくりきていないことが収録されている。さらには、批評家は自分のことをポストモダンと評すが、自分はモダニストであり、展覧会タイトルも“A True Modernist”のほうがうれしかったとさえ口にしている。

 冒頭わかっていないと書いたけれど、そもそもファッションにおいて“わかる”とはどういうことなのか。雑誌「スイッチ」のインタビューで「ファッションの役割は何にあると」考えるかという質問に、「(洋服はなくても死ななないが)感覚的なこと、きれいだとか、好きだとか、それを考えて自分を表現することがなければ人間はないし、つまらないと思うのです。ファッションは食べることに近いくらい大事なことだと思います」と答えている。人間であるためにもファッションで自分を表現することは大事だと。

 川久保が全員に理解されてしまうことを恐れるのは、理解された時点でそれは既知のものになってしまうからだろう。共感の時代と言われるが、コム・デ・ギャルソンは共感からも意図的に距離を取ろうとしているのではないか。SNSのアカウントもなければ、ブランドサイトは短いメッセージ(「自由を着る。」「選んで始まる。」「着て感じる。」)とコラボレーションしたアーティストのビジュアル、そして店舗リストのみ。しかも店舗リスト自体が超絶探しづらい。

 共感は個性を均してしまうのだろうか。日本のストリートスナップ誌の元祖「Fruits」が2016年末で月刊誌としての発行をやめた。オシャレな子が減り、毎月発行に必要なだけのスナップを撮ることが難しくなったことに加え、スナップが紙媒体からSNSに移行したことも原因のひとつと発行人の青木正一は言う。巨大資本が次々出店して原宿の個性が減り、青木が考えるオシャレの基準がいまの原宿と合わなくなってきたということもあるだろう。とはいえ、10年代に入っても、95年にショップ「6%DOKIDOKI」をオープンさせた増田セバスチャンと協働したきゃりーぱみゅぱみゅの人気もあり、原宿は何らかの個性を出現させようとしていた。もしくは、スマートフォンやSNSによってファッションは場所(ストリート)という縛りから解放されたと考えればよいのか。

 いつのことだったか、川久保は社員の誰よりも青山、渋谷、原宿を歩いて見ていると聞いたことがある。その話が本当か嘘かわからないのだけれど、ありそうなことだと思う。東京のファッションが個性的であるならば、すでにあるものは絶対につくりたくないと言う川久保は誰よりも街を歩いているはず。サングラスで視線を隠して街のファッションを観察しながら。
 と書いて終わろうと思ったら、94年の「スイッチ」のインタビューで、「この三十年で東京、または日本人が一番変わったと思うところがありますか?」という問いに、「個性を失い、皆で渡ればこわくないについて疑問を持たない」という答えがあった。歩いている伝説は、大昔のことだったのかな。やっぱり私は川久保玲をわかっていない。