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BOOK REVIEW vol.8

今月の本 vol.8:KEEP WARM 2

69歳で逝ったはな子の生涯は、きっと何千万という人の記録に残っている。

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はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(武蔵野市立吉祥寺美術館)
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 2016年5月に69歳で亡くなったアジアゾウのはな子は47年にタイで生まれ、49年に日本の上野動物園にやってきた。その後、都内を巡回し、54年に井の頭自然文化園へやってきた。戦中に餓死した花子から取って名付けられたはな子は、以後60年以上吉祥寺で生き、日本で最も長生きした象となった。象舎への侵入者と飼育員を死なせてしまう二度の事故があり、時に来園者から心ない言葉や暴力もあったというが、はな子は広く、そして長く愛された。戦後日本と平行して生きた生涯は、大きな成長と変化を繰り返してきた人びとの人生とも平行している。来園者たちがはな子の前に訪れるとそこは記念撮影の場所になり、家族や友人や恋人たちを撮った写真の後ろには必ずはな子がいた。その写真は、一体何人の人とどれだけの数が撮られたのだろう。亡くなる前年の2015年の井の頭自然文化園の入園者数が約90万人近いことを考えると、(指標として全く正しくはないが単純計算すると)62年で約5500万人がはな子を訪れたことになる。そして間違いなくそれ以上の枚数の写真が撮られているだろう。

 『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』は、パーソナルな記録とメディアに着目し、それらを媒介とした場を創造、探求してくいくAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]が企画した、武蔵野市立吉祥寺美術館での企画展『コンサベーション_ピース ここからむこうへ』に合わせて作られた、“はな子”をめぐる記録集である。

 “はな子”をめぐると書いた。でもこの本に収録されている写真はその収集、編集、デザインの方法によって、確実に“はな子”以上のことをめぐる記録になり、人びとの感情と記憶、そして社会の歴史の物語になっている。写真という記録メディアをめぐる戦後史でもある。

 勿体ぶった。この本に収録されている写真は、はな子が死んだ3カ月後の2016年9月から年末まで吉祥寺美術館と井の頭自然文化園が窓口となり、郵送または電子メールで受け付けた一般の方々によるはな子の写真で構成されているのだ。約550枚集まった写真から、収録されたのは169枚。写真は以下の基準で選ばれた。

 1)はな子のみのもの、はな子が不鮮明なもの、はな子ではないものは除外
 2)撮影日が判明するものを優先して選定
 3)被写体が正面を向いているものを優先して選定

 それらは撮られた日付の順で時系列に並び、写真と同日の飼育日誌がその下に掲載されている。SNS登場以前は誰に見せるでもない、自分たちの思い出を記録、保存するためだった写真。日付を写真の裏にメモ書きしていた頃から、日付記録機能付きのカメラになり、今ならスマホが日付をデータとして紐付けてくれる。最も古い写真、つまり冒頭を飾る1950年の写真は、まだ井の頭自然文化園に正式譲渡される前、ライオンやマントヒヒと共に巡回中の1枚で、井の頭自然文化園の職員の息子がはな子に乗っている。このきっかけがなければ何十年も開かれなかったかもしれないアルバムもあっただろうし、そしていまだに開かれていないはな子の写真もあるだろう。
 すべての写真は、モノクロで統一したサイズに拡大・縮小、トリミングが施されている。そして、郵送で受け付けた、フィルムもプリントも色あせも違う写真約30点が原寸大で複製され、モノクロ化させた写真の上にそれぞれ貼り付けられている。読者は統一化されたことで見えてくる他の写真との差異だけでなく、送り主が見ていたのと同じ視線を体験する。モノクロ化された写真ではわからない、物としてのプリントの時間が一気に顕在化する瞬間だ。

 写真に映るはな子がどんな体調にあったのか、写真を撮っている人びとはきっと知らなかっただろう。皆の前に出る前は機嫌が悪く象舎の中が荒れていたことも、肌の調子が悪いこともあったと飼育員日誌からわかる。亡くなる69歳まで徐々に弱っていったであろうはな子の推移は、人間の背景として常に写り込む小さな姿ではわからない。掲載された写真のほとんどが子ども、もしくは子どもと親であり、共通の被写体であるはな子は62年の間に年を取り続けたが、その前の子どもたちはどれも違う人間で62年間いつも子どものままだ。

 編集したAHA!は、写真を提供してくれた人びとへ「あなたがこれまでに失った大切なものを一つ選んで、その経験を教えてください」という質問を投げかけ、得られた約100の回答は写真の時系列順を遡行するように並べられた小冊子としてまとめられ、裏表紙の雁垂れに挟み込まれている。そこには送った写真についての詳細なエピソードやその当時の自分たちのこと、そしてこれまで失った大切な思い出が書かれている。はな子の死を知って写真を探し、送ってきた人びとはきっと記憶を大切にする人たちであり、今回自らの喪失を語った人は、これからはな子の死とその語りの経験を重ねていくだろう。写真は、撮った後、時間をおいて再び見ることによって新たな価値と意味が加わる。ましてそれを送り、集合的に掲載されるという行為と結果には、まったく新しい意味がそこに発生するはずだ。

 本書にはこれまで言及してきた以上に、微に入り細に入り実に丁寧な編集、デザイン作業が施されている。ここにはファウンドフォトのようなアノニマスなフラットさはない。歴史、社会的コンテクストと公的な記録、パーソナルな記録/記憶が交差し、離れ、また本の中で出会うという重層的で有機的な読書体験がある、とても丁寧でやさしさの滲む記録写真集だ。

 1965年11月7日は、見開きで同じ日付の写真が二枚並んでおり、左の写真に右の写真の人たちが写り込んでいる。左の写真が撮られたのと同じタイミングで撮られた写真だ。まったく見ず知らずの2グループが完璧に同じ瞬間を共有している事実を、50年以上の時を経て知ることの驚き。思わず笑みが溢れてしまう。このとき感じた暖かさは、間違いなく「KEEP WARM」。人間のやさしさ( と呼ばれるもの)は、見知らぬ人が自分と同じ時間を生きているんだという事実を認識して、尊重することにある。とこの本を見ながら考えていた。

 素晴らしい本で、素晴らしい仕事だと思う。感動した。