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BOOK REVIEW vol.24

『フランシス子へ』吉本隆明(講談社)

今月の本 vol.24:猫、曖昧さや過不足のなさが人間の想像力を刺激するもの

【質問】
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○ご質問
末次亘(会社員)
山口様
唐突ですが、僕は犬が好きです。犬と人間の関係は古く、その始まりは15000年以上前に遡るそうですね。そんな犬と人気を二分化するペットといえば猫ですが、どういうわけか犬に対する愛情の10%も猫に対して注ぐことが出来ないのです。知人宅にいる飼い猫と対峙しても愛でることが出来ないのです。友人から愛猫の写真を見せられても人間らしい反応が出来ないのです。同じ動物でありながらなぜこんなにも愛情を注ぐ上で違いがあるのでしょうか。犬派以外のなにものでもない僕が猫を好きになれる、そんな本があったらおすすめして頂けませんでしょうか。

○プロフィール
すえつぐわたる|洋服ブランドC.EのPR。www.cavempt.com
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【本文】
猫は人にとってどんな存在か
すえつぐさま

はじめまして。この度はご質問ありがとうございます。犬かわいいですよね。僕も好きです。実家にいた頃は雑種の犬を飼っていました。僕を見つけると一気に駆け寄ってきて、遊んで欲しがったり、ご飯を欲しがったりして、ガシガシ積極的だった様子が思い出されます。

すえつぐさんが犬を好きなのはどういったところでしょうか。犬を飼ってきた経験から犬との心理的な距離感が縮まっているということでしょうか? もしくは、犬は駆け寄ってきたり、ジャレてきたりとわかりやすく愛情を表現してくれることが多いと思うのですが、すえつぐさんの性格が犬のそうした動物的なことと相性がいいということでしょうか?

猫好きになれる本ということで考えたのですが、なぜ犬を好きなのかによって本も変わりそうで、誰しもに当てはまるという本は難しいなと思いました。そこで、猫を愛した人の例として思想家吉本隆明さんの『フランシス子へ』に書かれる、猫とは人にとってどんな存在になりえるか、人は猫をどういうものとして共に生きるのかを通じて、すえつぐさんの猫への視点や思いの変化のきっかけとなれたらと思っています。

特別な感じのない平凡な猫、フランシス子
『フランシス子へ』は吉本さんが飼っていたフランシス子という猫が16歳で亡くなった後、フランシス子への思いを回想として語った本です。2013年3月に単行本が発売され、2012年3月に亡くなった吉本さんにとって最後の本になりました。「そんなに美人でもないし、すばしっこいわけでもないし、いわく言いがたい平凡な猫」で「顔も長くて、目もパッチリした感じじゃないし、毛並みもあんまりよくなかった。毛が薄くて、触るとあばら骨の感じがわかるみたいな痩せた印象」すらある猫だったフランシス子。でも吉本さんにとってフランシス子はあまた接してきた猫とは違う特別な猫でした。

フランシス子は子猫の時に母猫に捨てられ、カラスに襲われて怪我をしたところで吉本家に拾われてきました。譲ってくれないかと言われて譲るも勝手に戻ってきてしまい、次女のよしもとばななさん宅に引き取られていくも先にいた二匹の犬と相性が悪く居場所が作れませんでした。吉本さんは、とりたてて美点があるわけでもない上にあっちもだめ、こっちもだめなフランシス子と自分は似ているんだと言います。猫は飼い主の「うつし」になり、鏡合わせのような同体感があるとも言います。「自分のほかに自分がいる」とまで。

吉本隆明の遅さと猫の感情表現の鈍さ
吉本さんは自分の「遅さ」が、猫と似ているのではないかと考えました。吉本さんは「悲しい」「さびしい」「楽しい」というような、ズバリ気持ちをひと言で言い切る言葉をあまり言わなかったそうです。それは、自分の感情をひと言で言い切れるほど、自分で自分の感情なんてわからないもので、簡単に言えることなんてそうありはしないと思っていたから。それで「なんとなく何も言い出せないでいる」ことで”遅れて”しまう。その遅さ、遅れるということが、猫が自分の感情を表に出すことの鈍さと似ているのだというのです。

鏡合わせと先に書きましたが、猫は人間がかわいがったぶんだけそのままを返してくると吉本さんは思っています。一方で犬は、猫よりも賢いのか鋭いのか、かわいがられると自分の感情や喜びを反応に上乗せして表現してくる。人間の振る舞いをぴったり真似して返してくる猫の一致感、一体感の魅力に取り憑かれると、猫好きになってしまうのだと吉本さんは何度も訴えます。境界線が曖昧になり、自分が猫であるかのように思えてくることさえあった吉本さんは、自分の遅さを気にせず、返してくれる猫に特別な安心感を感じていたのでしょう。

吉本さんは、猫と自分が溶け合うような一体感やまるで自分を見るかのような重なりを、喜びとして語ります。冒頭で末次さんの犬への愛情の感じ方がどこにあるのか気になったのは、吉本さんの猫に抱く感覚と末次さんが犬を愛する感覚とで、どのような違いがあるのか気になったからでした。犬は猫と違い飼い主の振る舞いに自分の感情を乗せて表現するが、猫は感情がレスポンスとして強くは出ず、曖昧で過不足がないと吉本さん。

個人的には、猫はどちらかといえば素っ気ないと言ってもいいと思います。自分が猫と暮らすようになってわかったのは、その曖昧さや過不足のなさが人間の想像力を刺激するということでした。というよりも想像力で補わざるを得ない。吉本さんの言葉で言えば「遅い」猫の振る舞いや表情、しぐさに対して、猫飼いたちは想像で意味づけをしたり、自分の心理的状況や頭の中の何かを投影したりしています。猫が「うつし」になっているとすれば、それはそうした勝手な解釈や投影をすることによって見たいものを見ているからだという可能性もあります。

だから食い違うことももちろんあります。吉本さんはその食い違う自分を、一致した「瞬間的な自分」と一致できない「人類としての自分」とに分け、でもその食い違いがある時にこそ「猫さんのかわいさが本当の意味でわかってくる」と語り、無二の友人としての猫の存在を褒めるのです。

意識レベルでの交歓を仕掛けること
こうした吉本さんの感覚は、長く様々な猫を飼ってきた末に出会えたフランシス子という存在を通して感じたことですので、この感覚を末次さんにインストールするのは、「いやいや無理」という感じだと思います。猫は、犬のようにわかりやすい感情表現をして来ない分、意識的にか無意識的にかこちら側から気持ちを投射してこそ繋がる感覚があります。ですので、意識的に引いてしまっている状態から愛情を見出すのはなかなか難しいのかもしれません。
『フランシス子へ』をお読みいただき、そういう猫の見方もあるのかと前向きに捉えながら、どこかのタイミングで長い時間を猫と共に過ごしてみてください。できれば、お客さんとして他人の家の猫と短時間過ごすのではなく、猫を預かってみたり、猫のいる家に長期で泊まってみたりするのがいいと思います。本を読むだけでは、末次さんの犬好きを猫が超えていくことはないと思われますので……

ちなみに愛護団体では猫の一時預かりボランティアなども募集しているので、猫への愛と興味が見いだせそうでしたら機会は様々にありますのでご検討ください!

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