XD MAGAZINE

Editing|Writing|
XD MAGAZINE

「知らない私が教えてくれる」- 自分の無意識から学ぶ

雑誌「XD MAGAZINE」の”学ぶ”という特集内おいて、特別編集ページの企画、ディレクションを担当した。

学びという特集内で、「知らない私が教えてくれる」と題して、無意識にやってしまっていることを意識化することで得られる自己変革への兆しを探るという企画を考え、16名の方々に寄稿いただいた。

028 計る│稲田俊輔

030 無意識の意識化/意識の無意識化│為末大

032 反復と変化│佐藤健寿
034 意識と無意識の往復│片桐はいり

036 違和感と触感│小高真理

038 無意識の情景│山科ティナ

039 椅子に座る、観察│藤田貴大

040 おばあちゃんみたいな犬と犬みたいなおばあちゃん│木下麦
041 子どもの言葉│穂村弘
042 バカな小林くん│柳家花緑

043 一人称│嘉島唯

044 無意識というか世界観。│阿部大樹

045 無意識に没入するための5つの手順│はらだ有彩
046 我が輩は野良である│卯城竜太(Chim↑Pom)

048 大きな庭をつくる│井上岳

050 蓄積される無意識を信じるために│上西祐理

以下は、特集扉に書いたイントロダクション。

ーーーーーーーー

自分のすべての行動を意識しながらやっていたら面倒くさくてしかたがない。あらゆる行動を「あたりまえ体操」式でやっていては時間がかかりすぎるし、脳の処理が他のことに使えなくなってしまう。だから人は無意識化させても大丈夫なものをそうしてきたけれど、果たして、本当にそうしてしまってよかったことばかりなのだろうか。日々忘れてしまうような行動や言葉、ふるまいが集められビッグデータとして利用されているいま、無意識の行動の集積があなただと言われているようでもある。くやしい。

常識や社会の空気、教育、刷り込み、慣れ、癖、習慣、本能など、無意識にやっていること、考えいること、言っていることは様々な呼ばれ方をしている。そうした日々の無意識を客観視して自分を見つめてみたら、いつの間にかできあがっていた自分や社会に何か変化が訪れるのではないか。

勉強とは、これまでの自分の自己破壊である。
これまでの自分は、環境のなかで保守的に生きてきた(保守的状態)。それは、環境における「こうするもんだ」=コードにノっていたということである。ところで、勉強とは、別の考え方=言い方をする環境へ引っ越すことである。新たな環境のノリに入ることである。
(中略)
深い勉強、ラディカル・ラーニングとは、ある環境に癒着していたこれまでの自分を、玩具的な言語使用の意識化によって自己破壊し、可能性の空間へと身を開くことである。

『勉強の哲学』千葉雅也

哲学者の千葉雅也さんが『勉強の哲学』でこう言ったように、学ぶことの本質は、自己破壊であり、変化、変容することにある。そして新たな環境、可能性へ開くことである。学びとは変わることであるなら、無意識の自己を意識化することで、新しい自分を見つけ、変化しようとすることも学びに繋げられるのではないか。

ーーーーーーーー

Information

Year

2021

co-edior

Kohei Tsurumoto